お盆のお施餓鬼供養

本日、檀家がお寺に集まり、「おせがき(施餓鬼会)」が行われた。餓鬼に施しを行うための法要という意味には、とても深いものを感じる。

その一方で、集まった檀家の年配者たちはとても元気だ。それは何よりだが、我先にと、大きな声で一方的に話をされると少々疲れてしまう。歳をとるということはそういうことだろう。耳も遠くなってくる。

人が自らの幸せや存在価値に執着するのは仕方のないことかもしれない。しかし、その姿を見ながら、「自分はどう生きるのか」を改めて考える良い機会にもなった。

中学生の頃、すでに父を亡くしていた私たち兄弟にとって、伯父は様々な形で力になってくれた。その伯父の三十三回忌の法要が営まれた。

お聖人さんのお経を聴きながら、さまざまな記憶が浮かんできた。胸に込み上げるものがあり、なぜか涙があふれた。

亡き伯父の享年を大きく超えた自分が、今ここにいる。伯父が亡くなってから、本当にいろいろなことがあった。後悔も悔しさも数え切れないほど味わった。それでも、もう引き返せないところまで来たのだと思う。

これからは、自分の人生を自分の責任で生きていこう。

そう心に決めてみたものの、どこか申し訳なさも残っていた。

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