武道の面白さや教育的価値を考えたとき、具体と抽象との複雑な往還を身体感覚を通して行うことが、その重要な要因の一つではないかと思うようになった。これまで明確に言語化したことはなかったが、ここ数日の学びを通してそんな考えに至った。
メルロ=ポンティがセザンヌの絵画を手がかりに、主客未分の世界について語ったことも、ある意味では同じことなのだろう。しかし武道の場合は、恐怖心をはじめとするさまざまな精神的変化を伴いながら身体を動かし、その領域へ近づいていく。そこに武道ならではの特異性があるように思う。
発達心理学で語られる中枢統合能力の重要性は、現代企業において重視される業務プロセスの管理にも通じるのではないだろうか。全体最適を目指しながら細部の改善を積み重ねるためには、抽象と具体を何度も往復する力が求められる。部分最適に陥りやすいのは、企業も個人も同じである。
抽象と具体を自在に行き来するためには、多様な視点と身体感覚が必要なのだと思う。メルロ=ポンティの「身体は世界に開かれた窓」という考え方は、身体知性の役割を示唆しているように感じられる。
先日、ファッション業界の形成にユダヤ人が大きな役割を果たしたという話を聞いた。また、金融や経済、芸術などさまざまな分野においても、多くのユダヤ人が顕著な業績を残している。
その背景には、多様な視点を持ちながら具体と抽象を往復する思考様式があるのかもしれない。ユダヤ教には偶像崇拝を禁じる伝統があり、目に見えるものの背後にある意味や原理を考える文化が育まれてきたとも言われる。
もちろんこれは単純化できる話ではない。しかし、人間の創造性や知性の働きを考えるうえで、一つの示唆を与えてくれるように思う。
そんなことを考えながら、本来やらなければならない具体的な作業を脇に置いて、日曜日の朝を過ごしている。

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