久々、東洋の六芸について

大学少林寺拳法部の部員からLINEが入った。お婆様がお亡くなりになり、週明けの練習には参加できません、と丁寧な口調で、残念そうに綴られていた。

彼女はこの春2年生になった。
週明けには新入生が部活動の体験にやってくる。それに参加できないことが心残りなのだろう。文面からそんな思いが伝わってきた。

昨年から今年にかけて、部員たちの祖父母が亡くなることが続いた。
彼らもまた、そうした「歳回り」に差しかかっているのだろう。人間の営みとしては自然なことだが、当人にとっては戸惑いを伴う体験である。

人は喪失の経験を通して成長する――そんな話を思い出した。

久しぶりに、東洋の「六芸」という言葉が頭に浮かんだ。
西洋の自由七科に対し、君子を育てるために必要とされた教養であり、「礼」に始まる六つの学びである。

礼については諸説あるが、ここでいう礼は単なる作法ではなく、社会の中で人としてどう振る舞うかを学ぶ営みである。
その中には、冠婚葬祭、とりわけ葬儀における振る舞いも含まれる。

人として生まれた以上、あなたは人間社会の大切な一員である――
そのことを最初に教えるのが「礼」なのだ、という考え方がある。
葬儀への参加は、その具体的な学びの一つであろう。

礼・楽・射・御・書・数と続く六芸の体系は、人が社会の中で生きる力を段階的に育てる教育として、今なお示唆に富んでいる。

これを心理学の文脈に引き寄せるならば、アドラー心理学のいう「共同体感覚」に通じるものがあるように思う。

週明けの練習では、そんな話をしてみようと思う。

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