その人がもつ世界感について

「中枢統合感覚」と「その人が持つ世界観」。

疲れた頭の中で、この言葉が何度も繰り返されていた。ここ数日の体験を通して、私の身体に残った言葉である。

先日受講した、芸術資源開発機構(NPO ARDA)主催の対話型鑑賞ファシリテーター養成講座は、自分自身の認識のあり方を改めて見つめ直す機会となった。

アーティストたちが何を見ようとしているのかが少し理解できたことだった。それは同時に、「なぜ今、アート思考なのか」という問いへの一つの答えにもなったように思う。

昨日、車中で少林寺拳法部のT主将が、昭和の歌謡グループ「クリスタルキング」に夢中になっているという話をしてくれた。

代表曲『大都会』はよく知られているが、それ以外にも魅力的な楽曲が数多くあるという。そして彼女は、「なぜこれほど良い曲があるのに、もっと評価されなかったのだろう」と疑問を抱き、自ら調べ始めたのだそうだ。

彼女は楽曲の背景や構成、その時代性まで掘り下げながら、自分なりの発見を私に語ってくれた。

その姿を見ていて感じた。

彼女は何かの役に立てようとして探求しているのではない。ただ、自らの好奇心が動く方向へ自然に歩いているのである。そして、その探求そのものを喜びとしている。

対話型鑑賞やフォーカシングが大切にしているものも、案外こうした姿勢なのかもしれない。

世界を効率よく理解しようとするのではなく、自分の心や身体が何に反応しているのかを丁寧に味わいながら、その意味を探っていく。

そんな人間の認識の営みについて、あれこれ考えさせられた一日だった。

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