対照的な人生を歩んだ二人の写真家の話が印象に残った。
一人はダイアン・アーバスである。裕福な家庭に生まれながら、その恵まれた環境に違和感を抱き、社会の周縁に生きる人々のポートレートを数多く撮影したという。家族からの援助を断り、決して豊かとはいえない暮らしを選んだとも語られていた。
もう一人はソール・ライターである。商業写真家として成功を収めながら、自ら第一線を離れ、長いあいだ静かな生活を送った。しかし晩年になって再評価され、再び表舞台に立つことになる。
二人の人生は大きく異なる。しかし、その歩みを知って改めて感じたのは、人の人生を比較して優劣をつけることの愚かさだった。
私は私の人生を選べばよい。
そう思えるようになったのは、実はつい最近のことである。
改めて写真家たちの生涯を振り返ると、私が関心を持ったのは成功や評価ではない。そうまでして写真を撮り続けなければならなかった、その性(さが)のようなものである。
彼らは何を見ようとしていたのか。何を表現しようとしていたのか。
そこには、人が生きるうえで大切な何かがあるように思える。
私はそれを知りたい。

コメント